愛人を持つということはつまり、自分にとっての特定のパートナーを裏切ってまで不倫をするということに他なりません。
もしもこれが、ドラマや映画のなかだけにあるたとえ話なら、物語の構成により一層の深みを持たせるための手段として、愛人の存在は欠かせないものであるかもしれません。
しかしながら、現実とフィクションは別物であるわけですから、堂々と愛人募集 を囲って不倫をしている男女がもしいたとしても、ほとんどの人は理解を示さずに眉をひそめるでしょう。
どうして、特定のパートナーを深く愛することができないで愛人契約に走るのか、これは解決の難しい非常に大きな命題です。
おそらく愛人募集というものは、人類が愛というものを覚えたその時からあまり時間を置かずして存在しているわけですから、キリスト生誕以前よりある大きななぞなわけです。
そうして、どんなに有能な人類学者や哲学者が議論を戦わせたところで、今後もこの謎が解けることはないでしょう。しいて無理な理由づけをするとすれば、人はもともと本能に従って動いているだけなのです。
原始人であったころの記憶を呼び覚ましてみてください――といっても多分不可能だと思いますが、そのころは今よりももっと性については肝要な考え方がされていました。
要するにみんながみんなやりたい時にやりたい人とやっていたのです。愛人契約もその感覚に近いのではないでしょうか。